一つのカウンセラー養成学校に留まることなく、数多くの講座やセミナーに参加。
「人生が楽しいと心から思えるようになるには」…をテーマに向き合い続け、メンタルヘルスアドバイザーとして、また女性、母親としての様々な経験を通して、「生き癖と向き合うことで楽になれる」…という独自のメンタルヘルスケアを確立する。
特にうつ予防には力を注いでいる。
・人といると疲れる
・自分に自信がない
・楽しそうにしている人が羨ましい
・なぜか孤独感がつきまとう
・漠然とした不安がある……等々
通常の生活はできてはいるけれど、心が重い状態で過ごしている方に、ぜひカウンセリングの存在を身近に感じていただきたい…、そんな気持ちで低価格でセミナーを開催したり、また作詞を手がけ <共感ソング・共感ポエム>を作成し、YouTubeに動画をアップしたりと、カウンセリング文化を広げるために精力的に活動を行っている。
これくらい大丈夫だと思っている貴女へ
ここ「おおきな木」のページに訪れて下さった理由はさまざまだと思います。
もし、少しでも「なんだか生き辛いな~」と感じて訪れて下さったなら、「私の悩みなんて、他の人に比べたら大したことはないから…」と思わないでくださいね。
「そういえば最近、心から笑えていない」と感じるならば、それは心が疲れているサインかもしれません。
そんな時は、ぜひ、心がリラックスできる時間を作ってあげてください。
ゆっくりと温泉、お友達と愚痴大会、カラオケ、ショッピング、一人で過ごす、アロマトリートメント…、いろいろな方法を試してはみたけれど「やっぱり心から笑えていないかも…」そんな風に感じるならば、一度「おおきな木」にお越しになってみませんか?
心の声をしっかりと聞き、人に話す機会を持つことで心の中の整理整頓をし、貴女の真の笑顔を取り戻しましょう。
メンタルヘルスアドバイザーになったきっかけ
私は美術系の大学を卒業して、夢であったグラフィックデザイナーとしての仕事に就きましたが、パソコンがなかった当時、仕事上使用する事が多かったインクや現像液・接着剤等にアレルギーがあることがわかり、1年で退職することになりました。
手の皮膚に水泡ができ、異常にかゆくなりだしたので皮膚科を訪れたのですが、就職して数ヶ月後に言われた「治りたいなら仕事を辞めるしかない」という検査結果の言葉をすぐには受け入れることができず、薬を塗りながら仕事を続けました。
でも、皮膚の状態はどんどん悪化する一方で、ついには顔や首にも症状が現れ出したことで限界を感じ、退職を決断しました。
大学を卒業してまだ1年。
同期生のほとんどが生き生きとグラフィックデザイナーとして働いているというのに、私はといえば自分の意思で仕事を辞めたわけでもなく、そのうえ、恥ずかしくて吊革も持てないくらい手の皮膚はボロボロ…。
正直、「これから何をしよう…」と悶々と辛かったです。
挫折感を味わいながらも前に進んでいるうちに、英語嫌いだった私が、英会話ができるようになりたいという無謀な夢を持つようになりました。
夢をもつと、人は頑張れます。
その後、2年間昼夜働いて渡米費用を準備し、1980年代にアメリカに旅立ちました。
今のように翻訳機などなくアナログだった当時、英会話力が全くと言っていいほどなかった私は、到着したその日に「学生寮」の入寮手続きを忘れられていた…という事件から始まりましたから、最初の数ヶ月は本当に大変でした。
語学スクールに通いながらアメリカに滞在した1年半、怖かった事も含めてですが、いろいろな事を経験できてよかったと思っています。
帰国後は、英語嫌いでも英会話はできるようになるし、話せるようになると世界も広がり楽しくなることを子供たちに知ってもらいたいと、英会話教室を開くことを考え、働きながら通信制の大学の英文科で学び始めました。
卒業まで6年半もかかってしまいましたが、あきらめずに何とか続け、卒業時には優秀論文賞もいただきましたから、頑張った甲斐があったと嬉しかったです。
その後、子育てをしながら、自宅にて子供英会話教室「はまもと英語っ子クラブ」を開き、介護が始まるまでの約10年間、幼稚園から中学生までの子供たちに英会話を教えました。
…と、こんな感じで、落ち込むようなことがあっても前向きに生きてきた私は、メンタル不全とは全く無関係と思っていましたし、「心が苦しくて動けない」 「とにかく辛くてしかたがない」という感覚もあまりわかりませんでした。
ところが、母は病気でしたが、父は医療ミスで、両親が全く同じ日に亡くなるという事が起こり、その後たった1ヶ月の間に、数々の予想もできないような辛い出来事が重なって起きた時、何とも言えない心の重さを経験し、気がつけば心はがんじがらめで、自分自身をうまくコントロールできない状態に陥っていました。
「辛いよ~。苦しいよ~。」そんな心の叫び声が聞こえるようでした。
それでも、表面上はなんとか普通に振舞っていました。
おそらく、それがいけなかったのでしょう。
心の声を無視したせいで、どんどん心はがんじがらめになって硬くなり、私の心身はまるで海に溺れたかのような状態になってしまいました。
もがけばもがくほど苦しくなり、もがけばもがくほど沈んでいくような感覚。
とにかく辛くて、自分ではどうしようもできない心の状態を経験しました。
条件さえそろえば、誰でもこんな辛い状態に陥るんだ…ということを目の当たりにし、「メンタル不全」は特別な人だけがなるものではないということを実感しました。
そんな状態がしばらく続きましたが、心が少し落ち着き始めた頃、元々「心」という存在に対して関心があった私は、本格的に「心」の学びを始めました。
深く学べば学ぶほど、今までポジティブに生きてきたと思っていた自分は、「ポジティブ風」に生きてきただけだということがわかりました。
それなりに楽しかったし、明るく生きていると思っていた人生は、実は、心から楽しめている人生ではなかったという事実に気づいた時、正直、「まさか…」という思いでした。
でもよく考えてみると、その通りかも…と。
その事実に気づけたからこそ、やっと心が解放され始めたのだと思います。
心が解放されると、「自分をもっと幸せにしてあげたい」という思いが生まれてきました。
「幸せになりたい」ではなく、「幸せにしてあげたい」という思いです。
そんな思いが生まれると、今までの私の人生では考えられなかったような選択肢が浮かんだり、何と言っても、私の心が「自分が幸せになる方の選択=自分にとって楽な方の選択」を簡単に許すようになりました。私がこの選択をしたとしても、自分が想像するほど人に嫌な思いをさせていないのかも…、そんなふうに思えるようになったからです。
自分に優しくなり、自分を信じるようになり、自分を責めないようになり、自分を許すようになり、自分を応援するようになり、時には人に甘えられるようになり、弱い自分を見せられるようになり……、そして、今まであんまり感じたことがなかった感覚ですが、嫌いなところも含めて、不思議と自分を愛おしく思えるようにもなりました。
「自分をもっと幸せにしてあげたい」という思いが生まれると、自分を幸せにしてあげられない価値観や自分を縛る考え方を発見できるようになりました。
そして、それがいくら自分に馴染んだ価値観や考え方であっても、あるいは、今までの自分の生き方の基本となっているものであっても、「自分を幸せにしてあげられないもの」と私の心が判断できるようになり、すぐには捨てることができなくても捨てる勇気を持てるようになりました。
どうしようもなく辛い「どん底」と思える心の状態になったからこそ、「このままではこの世から自分を消してしまうかも…」と感じたこともないような危機感を感じ、自分の心としっかり向き合う時間を持ったことで、自分を辛くさせていた「生き癖」に気づくことができたのだと思います。
そのことが、心の奥深くの解放へ繋がったのだと思っています。
今は、硬くなっていた心も柔らかくなり、「心から楽しい」と思える感覚も味わえていますから、確実に自分を幸せにしてあげる方向に進んでいる…、そのように感じます。
そんな心の流れを経験した私は、生き辛さを感じている人が、自分を辛くさせている「生き癖」を発見することで、少しでも心が楽になれるきっかけを作るお手伝いができれば…と思うようになりました。
そうは言っても、辛い時に自分の心と向き合うことは、とてもエネルギーがいることだと思いますし、そんなエネルギーはもう自分にはない…と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、人は生まれる前みんな平等に「勇気」という力が与えられている…と私は信じています。
恐れることなく、あの暗くて細い産道を通り抜け、誕生に向かうことができるように…。
この世に存在している全ての人は、どんな世界かも知らず、何も持たずに裸で生まれてきました。
小さな小さな体で、自分を信じ、命をかけて生まれてきたのです。
すごい勇気だと思いませんか。
もし、貴女の「勇気」が眠ってしまっているのなら、一緒に起こしてあげればいい。
もし、貴女の「勇気」が凍ってしまっているのなら、一緒に溶かしてあげればいい。
貴女が本来の元気を取り戻し、笑顔で飛び立てるようになるまで、
貴女の心の居場所になれたなら…、そんな思いでメンタルヘルスアドバイザーになり、「おおきな木」という名のサロンを作りました。